ツバメの読書ブログ

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Kの昇天(作者:梶井基次郎)

青空文庫で見つけたので、リンクを貼ります↓

http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/419_19702.html


集英社文庫「檸檬」(作者:梶井基次郎)に収蔵されている「Kの昇天」を久しぶりに読んだ。
梶井基次郎は「檸檬」が余りにも有名なため他の作品に目が向けられにくいが、「Kの昇天」をはじめ、素晴らしい短編作品も多い。
「Kの昇天」は題名の通り、主人公の友人であるKが溺死するところからストーリーが始まる。
ある人物から「Kの死について何か心当たりはないか」という手紙を受け取った主人公は下記の返信を書き綴る。


病気療養のため訪れたN海岸で、満月の夜に散歩に出たところ、海岸で砂浜を見下ろしながら前に出たかと思えば後ろに下がる不自然な動きをする不審な青年の影を見つける。
主人公は声を掛けようかと悩むが、まずは気を引こうとシューベルト作曲の「海辺にて」という曲を口笛した。この曲はもともとハイネの詩「ドッペルゲンゲル」(二重人格)のために作曲された曲だった。
話しかける糸口を探すため、思い切って「何か落とし物をなさったのですか」と話しかけた主人公にKは深い瞳、澄んだ声で「なんでもないんです」と答える。
その後Kと親しい間柄になった主人公は「何をしていたのか」と問いただす主人公に、Kは「自分の影を見ていた」と答える。
「『影』と『ドッペルゲンゲル』、その二つに月夜になると憑かれるのだ」とKは語った。
Kの溺死を聞いたとき、主人公には分かった。Kは影と同一になり、魂は身体を離れて月に飛翔したのだと。残された身体だけが遂に感覚を取り戻すことなく海の波間に残されたのだと。


この作品は、シューベルト作曲「海辺にて」(詩:ハイネ作、ドッペルゲンゲル)の口笛のメロデイーの静かな調子に合わせて、厳かに儀式の様に肉体を離れ、月へ昇るKの様子が観察的に友人である主人公によって述べられている。
人間の魂が身体を離れるまでの必然的な、そしてK自身も望んだ手段によって昇天の一連のプロセスがとても自然に表現されている。


月に照らされることで出来た自分の影を眺めると、確かにそこに自分自身の一部ともいうべき闇、不思議な揺れを見出す。
それを自分の中に戻す作業か、もしくはその影に自分を同化させる作業を以て一個の完全体になるのである。


月夜に散歩するときはふと足元の影を見つけて、必ずこの物語を思い出す。
そして「まだ早い。私は不完全なままで良い」と言い聞かせて、足元から目を上げ、月に口笛を吹く。


参考:シューベルト作曲「海辺にて」(詩:ハイネ作、ドッペルゲンゲル)Youtubeより

ゲルハルト・ヒュッシュ 「白鳥の歌」 から ”海べで” シューベルト D957 1963